本名はロバート・チャールトン。「ボビー」は本名「ロバート」のニックネーム、最初のサーはナイトの爵位を授けられた人につける称号・敬称です。
2012年現在、マンチェスター・ユナイテッドFCの役員をしています。
1954年に17歳でマンチェスター・ユナイテッドに入団。1956年のレギュラー定着後はユナイテッドの中心選手となり、1950〜70年代の長きにわたり活躍しました。
左足から繰り出される、「キャノン・シュート」と呼ばれる強力なシュートを武器とし、パワーとテクニックを兼ね備えた選手で、イングランド史上最高の選手といわれています。
1958年に初めてイングランド代表に選出されて以後、通算で三度ワールドカップに出場しています。
ボビー・チャールトンは、マンチェスター・ユナイテッドの選手としても、イングランド代表選手としても、数々の記録をあげています。
イングランド代表の得点記録(2010年時点) |
ユナイテッドの選手としては、2008年にギグス選手によって破られるまで試合出場数(758試合)1位。得点数では249ゴールを記録、今だに破られていません。現役では一番近いルーニー選手がこの記録を目標としています。
彼はサッカーにおいては常に冷静沈着、真摯に取り組み、普段もまじめで、「サッカー界随一の紳士」とか「スポーツマンシップの鑑(かがみ)」などと評されます。
1973年マンチェスター・ユナイテッドを退団し、選手権監督としてブレストン・ノースエンドに移籍。1976年ウォーターフォード・ユナイテッドに籍を置いたあと、選手としてのキャリアを終了します。
1979年に少年サッカースクールBCSSAを設立。
1983年監督としてウィガン・アスレチックスを指揮。翌1984年に取締役会のメンバーとして、ふたたびマンチェスター・ユナイテッドに戻ってきます。
彼のイギリスサッカー界での功績は大きく、1966年のバロンドールをはじめ様々な賞を受賞していますが、1994年にナイトを叙せられ、以後"Sir(サー)"の称号を授けられることとなります。
以後、今日まで、なかば公人として、サッカーに限らず様々な活動に携わってきました。現在はマンチェスター・ユナイテッドの公式試合の場や、各種サッカー関連授賞式でのプレゼンターなどで姿を見ることができます。
2012年2月に結石の軽い手術を受けましたが、その後は元気に公の場に姿を見せています。6月24日にはロンドンオリンピックの聖火リレー走者をつとめました。
日本との関係としては、ワールドカップの日本誘致への尽力など日本サッカー界への貢献に対して、2012年春には旭日小綬章(The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette)を叙勲。同年5月、エリザベス女王在位記念で訪英中の天皇陛下・皇后陛下とも会見しています。
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