サッカー界の「レジェンド」サー・ボビー・チャールトンが設立し、デビッド・ベッカムはじめ多くのプロを輩出した、イギリスの少年サッカースクール「ボビー・チャールトン・サッカー&スポーツ・アカデミー(Bobby Charlton Soccer and Sports Academy / BCSSA) 」 。

世界中からサッカー少年少女が集まる1週間の夏休み合宿「サマーレジデンシャル(Summer Residential)」を紹介するブログです。2016年の募集は終了しました。2017年分は予約可能ですが、日程と価格は今秋の発表予定です。


2012年7月15日日曜日

サー・ボビー・チャールトンってどんな人?(1) サッカー界のレジェンド

サー・ボビー・チャールトン(1937〜)は、イギリスを代表するフットボーラー。


本名はロバート・チャールトン。「ボビー」は本名「ロバート」のニックネーム、最初のサーはナイトの爵位を授けられた人につける称号・敬称です。

2012年現在、マンチェスター・ユナイテッドFCの役員をしています。

1954年に17歳でマンチェスター・ユナイテッドに入団。1956年のレギュラー定着後はユナイテッドの中心選手となり、1950〜70年代の長きにわたり活躍しました。

左足から繰り出される、「キャノン・シュート」と呼ばれる強力なシュートを武器とし、パワーとテクニックを兼ね備えた選手で、イングランド史上最高の選手といわれています。

1958年に初めてイングランド代表に選出されて以後、通算で三度ワールドカップに出場しています。


ボビー・チャールトンは、マンチェスター・ユナイテッドの選手としても、イングランド代表選手としても、数々の記録をあげています。

イングランド代表の得点記録(2010年時点
イングランド代表としては、主将としてイングランド初の優勝をもたらし、自らは歴代得点王(2位は昔グランパスにも所属した、ゲーリー・リネカー)や歴代キャップ数の記録を有しています。

ユナイテッドの選手としては、2008年にギグス選手によって破られるまで試合出場数(758試合)1位。得点数では249ゴールを記録、今だに破られていません。現役では一番近いルーニー選手がこの記録を目標としています。

彼はサッカーにおいては常に冷静沈着、真摯に取り組み、普段もまじめで、「サッカー界随一の紳士」とか「スポーツマンシップの鑑(かがみ)」などと評されます。

1973年マンチェスター・ユナイテッドを退団し、選手権監督としてブレストン・ノースエンドに移籍。1976年ウォーターフォード・ユナイテッドに籍を置いたあと、選手としてのキャリアを終了します。

1979年に少年サッカースクールBCSSAを設立。

1983年監督としてウィガン・アスレチックスを指揮。翌1984年に取締役会のメンバーとして、ふたたびマンチェスター・ユナイテッドに戻ってきます。

彼のイギリスサッカー界での功績は大きく、1966年のバロンドールをはじめ様々な賞を受賞していますが、1994年にナイトを叙せられ、以後"Sir(サー)"の称号を授けられることとなります。

以後、今日まで、なかば公人として、サッカーに限らず様々な活動に携わってきました。現在はマンチェスター・ユナイテッドの公式試合の場や、各種サッカー関連授賞式でのプレゼンターなどで姿を見ることができます。

2012年2月に結石の軽い手術を受けましたが、その後は元気に公の場に姿を見せています。6月24日にはロンドンオリンピックの聖火リレー走者をつとめました。




日本との関係としては、ワールドカップの日本誘致への尽力など日本サッカー界への貢献に対して、2012年春には旭日小綬章(The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette)を叙勲。同年5月、エリザベス女王在位記念で訪英中の天皇陛下・皇后陛下とも会見しています。


最近は香川選手のユナイテッド入りに関連した発言などで注目を集めました。


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